1 大償斎部流野口伝鴨沢神楽(おおつぐないいんべりゅうのぐちでんかもざわかぐら)
国の重要無形民俗文化財である早池峰神楽の流れを汲む山伏神楽で、東和町東晴山の白山神社より弘化年間(1844~1847年)に隣部落の軽石に伝授され、明治14年(1881年)軽石神楽より免許を得て正式に鴨沢神楽として独立。
1)昭和47年(1972年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
2)平成元年(1989年)岩手県無形民俗文化財指定
2 岳流歌書神楽(たけりゅううたがきかぐら)
早池峯山岳神楽として、江戸後期、天保13年(1842年) 早池峯山神社別当妙泉寺から歌書地区に伝授。
・平成17年(2005年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
3 大償斎部流野口伝軽石神楽(おおつぐないいんべりゅうのぐちでんかるいしかぐら)
早池峰山の神を祭る、内川目田中部落の田中神社の田中神楽を源流とする大償と岳の神楽が有り、大償(早池峰山麓の山里大償部落、田中の山陰家)の流れを汲む東晴山より、天保6年(1835年)伝授。
4 歌書大神楽(うたがきだいかぐら)
明治30年(1897年)、福岡村水押(現北上市口内町)昆野辰之助より広瀬村字宝良の江川国治郎に伝えられた。
5 軽石座敷田植踊(かるいしざしきたうえおどり)
田植踊は、主として豊作をお祝いし、豊作を阻む悪霊を鎮める鎮魂の踊りとも言われている。明治28年(1895年)西風部落に伝わったのが始まりで、次々と各軽石部落に伝わった。現在は休止中。
・平成17年(2005年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
6 軽石薩摩奴踊(かるいしさつまやっこおどり)
明治43年(1910年)北上市口内町菅野嘉吉より、菊池高左ェ門へ皆伝極意巻謹写譲渡され、一番奴の菊池高左ェ門が軽石奴の始祖となる。巻物一巻は、文禄4年(1595年) 甲州本田友之助秋則の真筆で、その後書き写され、口内地区に伝わった。
・昭和58年(1983年)江刺市無形民俗文化財指定
7 奥山行山流鴨沢鹿踊(おくやまぎょうざんりゅうかもざわししおどり)
正慶元年(1332年)、気仙有住の猟師が、南部春日大明神の化身たる老翁に、殺生戒を諭されるとともに、鹿が踊り跳ね狂う様、連れ遊ぶ風情を見せられ、それを里人に伝えたのが始まりと誌されている。
・昭和61年(1986年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
8 奥山上山流歌書獅子躍(おくやまじょうざんりゅううたがきししおどり)
安永2年(1773年)大原亦助の指導により、伊達公の御前に於いて踊を演じ、その時上山流と名々され、伊達公の定紋(竹に雀)等を装束に記すことを許された。
・昭和61年(1986年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
9 金津流軽石鹿踊(かなつりゅうかるいしししおどり)
享保年間(1716年~)宮城県志田郡金津村犬飼清蔵から石関村の小原伊右衛門が伝承し、文政11年(1828年)栗生沢村及川新蔵に伝授、明治23年(1890年)軽石の菊池音蔵らに伝授された。
10 鴨沢念仏剣舞(かもざわねんぶつけんばい)
大同元年(806年)羽黒山善行院中慶により創められ、弘化元年(1844年)下衣川村の佐藤城五から古堂屋敷後藤準内に伝授された。また、広瀬小学校の郷土伝承活動学習としても伝授されている。
・平成17年(2005年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
11 軽石念佛剣舞(かるいしねんぶつけんばい)
大同3年(808年)権大僧都法印善行忠慶と号する僧が、羽黒山修行中、3人の旅僧から授けられ、ひろめたものとされている。
・平成17年(2005年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
12 広瀬人形芝居常楽座(ひろせにんぎょうしばいじょうらくざ)
明治3年(1870年)、軽石の住人、後藤幸右ェ門が伊勢三宮の帰途に水戸の水戸縫右ェ門一座系統の人形芝居を習得し、郷土に取り入れたのが始まり。
・昭和52年(1977年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
・平成7年(1995年) 岩手県無形民俗文化財指定
13 軽石歌舞伎「中村座」(かるいしかぶき なかむらざ)
軽石部落は、以前から和紙の製造が盛んで、口内(現北上市口内町)の和傘の材料となった。口内の館主中島氏は、手漉き職人を大切にするとともに、娯楽の一つとして農村歌舞伎を導入したのが始まり。明治10年(1877年)頃と謂われている。
・平成17年(2005年)奥州市(旧江刺市)無形民俗文化財指定
14 松風太鼓(まつかぜだいこ)
平成9年(1997年)10月、女性だけの太鼓団体として、岩手県内2番目に結成。名称は、旧広瀬中学校の校歌の一節「松風高し日渡野・・・」から引用。オリジナル曲「息吹」を始め、持ち曲は10曲。全日本及び東北太鼓フェスティバルにも出演。